2014年5月25日

『一億総ツッコミ時代』

『一億総ツッコミ時代』
槙田雄司
星海社新書
2012年9月初版

作詞作曲ものまねで知られる芸人,マキタスポーツがだれでも評論家である現代の生きかたを指南している.

確かに,今は「総ツッコミ時代」である.ここでいうツッコミとは,評論あるいは批判・攻撃のことである.だれもが評論家であることと他罰的なことは,無関係ではないが,異なることである.

この点をはっきり区別していないのは,問題だと思う.他者あるいは他者の作品を評価するのはいいことだ.インターネットは,評論に溢れている.アマゾンカスタマーレビュー,ぐるなび,ブログ…….評論ブームで,皆がラーメンを食べれば,映画を観れば,良い悪い・好き嫌い以上の分析を始める.人によってはインターネットにそれを書き込んだりする.当然,趣味で好き放題書いている素人の評論は,品質が担保されていないから,稚拙なものが多い;私みたいに.しかし,それは何の問題もない.意見を持ったり,それを発信するのが好きなひとにとっては,そうすることは楽しいのだから.品質が担保されたプロ()の評論家がいるわけだし,素人の評論も数が集まればそれなりに正確になるのだから.

何らかの評価を出そうとして物を見るのと,頭空っぽにして物を見るときには態度が変わってしまうという問題もある.しかし,それは慣れてないだけだと思うのだ.頭空っぽにして見た結果出てきた評価というのが,妥当な評価だと思うのだ.頭を空っぽにして物を見ても,何かしらの評価を出せるようになる必要がある.そのためには,意見を出す訓練をする必要があって,積極的に評論していけばいいと思うのだ.

本書からかなりずれたことを書いてしまった.本書には,評論家きどりへの批判はほとんどない.本書では消費者を「求道層」「浮動層」「受動層」に分類しているが,上記したのは,浮動層から求道層に行く方法な気がする.

『浮動層について批判的に述べてきてしまいましたが,私は浮動層の態度がダメだ,いけないと言っているわけではありません.ただ,ちょっと無理をしているのかな,背伸びしているのかな,と思っているのです.つらいんじゃないかな,と.』p.84

頭を空っぽにして物を評価できないというのが,浮動層なのではないかと思う.頭を空っぽにできないのを本書の言葉でいうと「メタ視点」になるのだろうか?著者が提案するのは,

『ひとつは「ツッコミ志向」から「ボケ志向」になること,
もうひとつは「メタ」から「ベタ」への転向です.』p.8

ということだ.「ベタ」というのが頭を空っぽにするということならが,求道層というのも「ベタ」なのだろう.

著者が問題にしているのは,「メタ」より「ツッコミ」の方である.最初に,批評と非難を区別していないと書いたが,本書では区別されていた.批評が「メタ」に,非難が「ツッコミ」に相当するのだ.安全圏から他人を攻撃するほど面白いことはないから,ツッコミ志向になるのは仕方がないことだ.ツッコミ志向は今に始まったことではないと思う.松本人志は,日本人をツッコミ志向に変えてしまったほどの影響力はない.ツッコミ志向で窮屈なのは,現代だけの問題ではない.でも,「ツッコミ」から離れて話題を生み出す側「ボケ」に回った方がいいでしょということだ.知ってた……と感じましたが,同意です.

2014年5月5日

『パプリカ』

『パプリカ』
筒井康隆
新潮文庫

『パプリカ』
監督 今敏
マッドハウス


筒井康隆によるSF小説と,今敏によるそのアニメ映画化作品.先に映画を観てから小説を読むと,映像のイメージは強いので,どうしてもアニメのキャラクターがイメージされて混同してしまうが,主に原作の感想.

千葉敦子(パプリカ;原作では同一人格なのだ)のビッチっぷりが印象深い.乾副理事長以外の主要な男性のほとんどから寵愛を受けている.そして男性陣は社会的地位が高い.そんな女いねえよと思ってしまう.敦子の地位も高いのだけれど,それはビッチな特性の結果なのか?敦子が同僚の女に殴られる場面で正直ざまあみろと思った.

他者と夢を共有できる大発明DCミニの奪い合いは,権力闘争が原因だ.映画は乾の動機を,不気味な演出の妙でごまかしちゃってたので,話の別の切り口が見えた.

ノーベル賞級の発明をした女性科学者,彼女に蠱惑されたおじさんたち,そんな彼女に嫉妬する別のおじさん.今これを読んだら,「STAP細胞騒動」を連想せざるを得ない.ゴシップ的に作られたキャラクター「おぼちゃん」(実際は知らん)と「パプリカ」を比べると面白い.