2013年6月16日

『「空気」の構造』

『「空気」の構造 日本人はなぜ決められないのか』
池田信夫
白水社
2013年6月初版

はじめに 日本人は特殊か
序章 「空気」が原発を止めた
第一章 日本人論の系譜
第二章 「空気」の支配
第三章 日本人の「古層」
第四章 武士のエートス
第五章 日本軍の「失敗の本質」
第六章 日本的経営の神話
第七章 平和のテクノロジー
第八章 日本型デモクラシーの終わり

日本人はどうして日本人論が大好きなんだろうか.誰もが枕ことばに「日本人は~」と付けるのが奇妙だ.その人の周囲の人が典型的な日本人であるというのは,日本人が均質であることを前提にしている.こういう前提があることが不思議である.

本書も,日本人が大好きな日本人論についての本である.丸山眞男と山本七平の考えに依ったところが大きく,新しい視点が少ないと思われるが,どちらも読んだことがないので,興味深かった.

太平洋戦争も,誰が起こして誰に責任があるのかよく分からない.ドイツではヒットラーが悪いと誰もが答えられる.しかし,日本で誰に最も責任があるか答えられる人が少ないだろう.東條英機か,新聞社か.

ボトムアップで物事が決まっていって,空気が形成され,責任者は空気を読んで決断するという意思決定の過程は奇っ怪だ.ボトムアップで決まると言っても,低層にいる人が何かを変えられるかといえばそんなことはできない.ひとりが何かをしようとしても,他の皆が賛同しなければ,実現できない.村八分なんて恐ろしいものもある.

トップを説得しても決定はできない.決定したければ全員を説得しなければならない.しかし,そんなことは不可能なので普段は何も決定できない.何かを決定できるのは,原発事故のような大きな外乱があって,全員の方向:空気が変わったときだけだ.

しかし,その方向が合理的であるとは限らない.むしろ太平洋戦争のように不合理な決定の方が多いのではないか.合理性より動機の純粋性の方が優先されてしまう.日本人は,合理性より動機の純粋性の方を大切に思っているというならば,それはそれで合理的と言えなくもない.だが,なんだかな~,それでいいのか思ってしまう.

けど,そういう日本人の傾向こそ変えられないので,どうしようもないのだ.そういうものと思って上手くやるしかない.

ボトムアップな意思決定という点で,稲盛和夫のアメーバ経営を連想する.会社をアメーバ:小規模な経営単位に分割して,アメーバ毎に採算を管理する経営手法だ.日本の組織がタコツボ化してセクショナリズムに陥るのを認めてしまったら,アメーバにしてしまうのもありだと思う.成果主義もアメーバを個人にまで分割したとものだといえる.しかし,アメーバだとひとつの企業である必要がないのではないか思うのだ.カンパニー制も同様に思う.日本人に大企業は作れないのかもしれない.

そういう意味では,道州制や封建制もいいのかもしらない.

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