2013年8月22日

『夏への扉』

『夏への扉』
"The Door into Summer"
Robert A. Heinlein
福島正実 訳
ハヤカワ文庫SF

タイムトラベルものの古典.

涼宮ハルヒの退屈』の『笹の葉ラプソディ』エピソードの元ネタと思われる.好きなものの元ネタを発見したら,自分も歴史の中にいると感じるので幸せになれる.

爽やかな読後感があって心地よい.

しかし,そんなに良く出来た話ではないと思った.ご都合主義的というのだろうか.

矛盾のないタイムトラベルを描くのは難しい.なぜならば,タイムトラベルなんて存在しないからだ.因果関係が必ず破綻してしまう.

矛盾が少なくなる設定として,時間,または出来事や因果関係の流れを一本とするタイプがある.つまり,自らの生前に戻って親殺しができない;やろうとしても必ず失敗するタイプのタイムトラベルだ.本作も,このタイプである.

このタイプのタイムトラベルは伏線を貼りやすいというメリットがある.現在にて情報知り得た主人公は,その状態になるように,過去にて工作を行わなければならないからだ.

主人公デイヴィスは,コールドスリープによって1970年から2000年に来る.2000年で得た1970年の情報が,自分の知っているものとズレがあった.2000年ではタイムマシンが存在することを知ったデイヴィスは,それで1970年に帰ろうと試みる.しかし,このタイムマシンは飛ぶ時間は指定できても,未来に飛ぶか過去に飛ぶか分からないものであった.

しっくりこないのは,なぜデイヴィスはそのタイムマシンに乗ったのかということだ.結果過去には行けるわけだが,過去での工作をデイヴィス自身が行ったという確証は無いわけだ.デイヴィスが再び過去に戻っているという確信をもった描写があれば,そのタイムトラベルは成功することが予め分かっているのだから,タイムマシンには乗るだろう.しかし,どの段階で確証を得たやら.なんとなく乗ってみたら,うまいこと過去に行けたのというご都合主義か?過去に戻った際に,未来にいる昔の自分に対してメッセージを残す必要があるのではないかな.

それよりしっくりこないのは,ラストでリッキーが未来でデイヴィスを待っててくれていたことだ.読者はリッキーが待っているという結果はすでに知っていた.しかし,一切動機が描かれていない.少女リッキーが,なんとなくデイヴィスになついていて,大人になるまでなんとなく待っているというご都合主義だ.

綺麗に終わる話だけに,しっくりこない部分が気になった.


追記

タイムトラベルに関する考察を書きました.

タイムトラベルの分類

タイムトラベルの分類 改訂版

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