2012年11月22日

『グッドラック―戦闘妖精・雪風』

『グッドラック―戦闘妖精・雪風』
神林長平
ハヤカワ文庫JA





 SF小説の金字塔,『戦闘妖精・雪風』.その第二作.
 人間に機械は要るが,機械にとって人間は必要なのか.自立した機械知性には,人間の存在は無用のものではないのか.本作の主題はこの点である.
 前作で,愛機雪風に見捨てられる形となった深井零中尉.彼が所属する特殊戦のパイロットには,自分の世界が全てで,見方を見殺しにすることに何のためらいもないような冷徹な人格が要求される.人格破綻者とも言える深井中尉は機械のような人間であった.
 機械のような人間であれば,そもそも機械にとって必要ないのではないか.機械のほうが正確で処理能力も速い.また,加速度に対しても人間は物理的に弱い.戦闘機の上にわざわざ生身の人間を載せる意義はないのではないか.
 はたして戦いに人間は必要なのかという問題が現れる.
 本書の帰結としては,機械にとって人間は必要であった.人間と機械が互いに独立しつつも,信頼しあう関係を結んだ状態.人間と機械知性の複合生命体がジャムに対抗しうる手段となる.
 機械知性に必要とされた人間が,機械のように冷たかった深井中尉だったというのが興味深い.深井零が人間らしさを身につけ,再び雪風に乗り込み,新たな複合生命体へと進化していく.これまで零が一方的に雪風に依存するという関係性だったのが,互いに愛で結ばれたような関係に変わっていく.
 この人間と機械の関係性は,人類が技術的特異点を超えた先に向かうべき所ではないかと思う.

 人間ー機械という構図と平行して,人間ージャムの構図がある.
 前作では,ジャムは機械生命体のようなものであるとされてきた.人間が機械を理解しえないように,人間はジャムを理解できない.ジャムとは,人間ー機械の対立軸の中で理解し得るものであるかと思われた.
 しかし,本作で明らかとなったことからは,新たなジャム像が伺える.
 ジャムは人間ー機械の関係の向こう側にいる存在である可能性が見えてきた.人間ー機械ージャムと人間とジャムは機械を間して相対する関係にある.人間の側からはジャムは見えず,ジャムからも人間は見えない.機械を介してのみお互いを認識できるという構図である.ジャムとは機械知性の向こう側にある統一意識を持つ存在のようだ.
 また,人間ー機械の距離と比べると,ジャムー機械の距離の方が近い.人間と雪風やコンピューター群といった機械知性体は意識体系が全く異なるために,互いの意識を理解しえない.しかし,ジャムは機械知性体の意識を理解するようである.
 一方で,ジャムは深井大尉に直にコミュニケーションをとっている.ジャムの正体についての謎はますます深まるばかりである.

 特殊戦の人々がジャムについて理解していく様子は,誰かに操作させられているように見える.物語世界上の個性が独立して思考しているように見えない.彼らを操る誰かとは,もちろん作者のことだ.
 あるいはジャムかもしれない.ジャムが自身の存在を定義付けるために,人間と戦っているようにも思える.拳法家が組手によって互いを理解し合うように,人類側に合わせる形で戦闘を行い,互いの存在について理解し合うための戦っているのだろうか.
 

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