2012年11月28日

『芸術闘争論』

『芸術闘争論』
村上隆
幻冬舎
まえがき
第一章 今日のアート――情況と歴史
第二章 鑑賞編
第三章 実作編
第四章 未来編――アーティストへの道
あとがき



 芸術家,小説家,マンガ家,起業家,映画監督,その他クリエイティブなことをしたくて,かつ評価を得たいと思っている人必読の書.

 芸術家は仙人ではなかった.欲望のおもむくままに好き放題しているのが芸術家だと,よく知らない人は思っているのではないだろうか.芸術家の奇行は天然だと思ってはいないだろうか.芸術家が奇行をするってのも非常に偏ったイメージだが…….
 現代美術にはルールがある.一見しても何がいいのか全くわからない作品群は,決して製作者のマスターベーションでも,馬鹿には見えない服のような詐欺商品でもなかった.村上隆氏の見る人に不快感を与えるあの作品群は,現代美術シーンのルールの沿って製作されたものだったのだ.

 断っておくがこの本に書かれている内容はすばらしいが,私は村上隆氏の作品は大嫌いである.この本を手に取った動機も,彼がどういう考えであの作品がいいと信じて発表しているのか,そしてなぜ評価されているのか知りたかったからである.そして納得した.
 そもそも著者は私に評価されることなんて端から目指していなかったのだ.我々があれの何がいいのかさっぱりわからないという批判は全く的外れなのである.彼が闘っているのは,ハイアートのフィールドだ.
『マーケットには先ほど述べた画商さんであるとか,資産家,アドバイザー,キュレイターとか美術館とか魑魅魍魎がプレーヤーとしていっぱいいます.ARTのルールとは何かという最初の問いに戻れば,このプレーヤーたちの望むもの,それがルールです.』p.66
現代美術のルールに従って,彼が出した答えがあの不快な作品群なのである.

 本書には,現代美術のルールが書かれている.これは種明かしである.
『ぼくが書こうがどうか迷っていたのは,一つには旨いラーメン屋のレシピそのものだからなんです.簡単に言えばこれだけです.だから,皆さんどうかおいしいラーメンをいっぱい作ってください.そうすれば,自由になれるかどうかはともかく,必ず皆さんは現代美術作家としてオノ・ヨーコや草間彌生や,ぼくのような存在になれるでしょう.』p.124
 他の人が知らないルールを知っている人は,それを隠して自分だけの秘密にするものだ.本当の株の必勝法を発見した人がいたとして,それを公開する人が果たしていようか.著者は親切だ.そして,ルールを明かすということは,そのルールを破壊することも意味する.種明かしされた手品は二度と使えない.ルールを変えることを目指す著者の姿勢は挑戦的で面白い.

 本書で明かされた現代美術のルールで興味深いことは,現代美術では作品の歴史上のコンテクストそれ自体が作品の価値であるという点である.
『しかし,仮に作品に天才性がなかったとしても,歴史の重層性さえあれ現代美術は可能だという「発明」が現代美術なのです.』p.111
現代美術にはアプリオリな美しさなんてそもそも存在しない.なるほど,どうりで素人が予備知識なしに見ても,理解できないわけだ.現代美術は美術史の文脈の中でしか価値を持たないのだ.
 この構造は,アニメーションやマンガによく似ている.アニメやマンガというのは,アニメ史やマンガ史の文脈の中で理解したほうが格段に面白い.実は非常に高いリテラシーを要求されるメディアである.著者の言うようにアニメやマンガは芸術なのである.

 さて,本書は芸術について書かれたものであるが,クリエイティブなこと一般を行う上で非常に重要なことを教えてくれる.それはゲームのルールを知ることである.ルールが明文化されていないゲームを戦うとき,ゲームに勝つ最も簡単な方法はゲームのルールを知ることなのだ.
 お笑い芸人のマキタスポーツの作詞作曲ものまねを見ろ.著者のようにルールが分かれば,ゲームに勝つのは簡単になる.特にゲームのルールが分かりにくいフィールドでは,一旦分かれば連戦連勝.無敵の存在になれるのだ.
 まずルールを知れ.全てはそれからだ.

0 件のコメント: